一首評の記録
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一首評〈第164回〉
五島諭『緑の祠』(書肆侃侃房、2013) いまなにを待っても悪意 梅の花ひかる世界に目をおよがせる 「いまなにを待っても悪意」とはなんのことだろうか、なぜいま…
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一首評〈第163回〉
千種創一『千夜曳獏』(青磁社、2020) 夜、縦の光はビル、横のは高速、都市化とは光の糸を編んでいくこと 大胆にも「夜、」と場面設定と読点からこの歌ははじまる…
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一首評〈第162回〉
髙瀬一誌『喝采』(短歌新聞社、一九八二) のけぞるかたちの木一本ぞいま月光はほしいままなる 高瀬一誌の第一歌集『喝采』の巻頭歌である。「のけぞるかたちの/木一本…
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一首評〈第161回〉
橋爪志保『地上絵』 ラメ付きのスーパーボールに住んでいるひとかよきみは地球ではなく スーパーボールが自分の生活から失われて何年になるだろう。スーパーボールはわれ…
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一首評〈第160回〉
笹井宏之『てんとろり』 天国につながっている無線機を海へ落としにゆく老婦人 老婦人は大事な誰かに先立たれたのだろう。愛した人や親戚、友人などが考えられる。もし…
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一首評〈第159回〉
花山周子 『風とマルス』 水鳥の潜りしのちをたゆたえる海はおそろし音立てなくに 実際のところ、祭りの祝祭感がもっとも高まるのは、祭りそのものが行われ…
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一首評〈第158回〉
佐クマサトシ 「すべての可塑的な者たちに告ぐ」 本当に大事なものはいつだって名前 それが二つある犬 2011年・2012年にロサンゼルスで行われた初音…
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一首評〈第157回〉
高野公彦 「水木」 青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき 高校時代、仲間と青春の定義について語ったことがある。そういう青臭い議論の常として、どう…
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一首評〈第156回〉
河野裕子 「京都うた紀行」 来年もかならず会はん花棟(はなあふち)岸辺にけぶるこの紫に この歌がきっかけで楝の花を知った。5月から6月の梅雨前に咲く淡いうす紫の…
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一首評〈第155回〉
星野さいくる 「daisy」 『心の花』二〇一九年十月号より ひとつずつ慈しまれた花弁が飛び立つ角度に開くdaisy 作者は小学校の教員。教室の子どもたちにいま…