一首評の記録
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一首評〈第156回〉
河野裕子 「京都うた紀行」 来年もかならず会はん花棟(はなあふち)岸辺にけぶるこの紫に この歌がきっかけで楝の花を知った。5月から6月の梅雨前に咲く淡いうす紫の…
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一首評〈第155回〉
星野さいくる 「daisy」 『心の花』二〇一九年十月号より ひとつずつ慈しまれた花弁が飛び立つ角度に開くdaisy 作者は小学校の教員。教室の子どもたちにいま…
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一首評〈第154回〉
光森裕樹 『鈴を産むひばり』 ゼブラゾーンはさみて人は並べられ神がはじめる黄昏のチェス 少しの想像によって、ありふれた風景が全く違って見えるときがある。 通学…
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一首評〈第153回〉
大森静佳 「阿修羅」『京大短歌24号』 一月のエスカレーターめくるめく泣きそうな手だと思ってしまう 異様な歌だと思う。エスカレーターを「泣きそうな手」だと認識し…
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一首評〈第152回〉
はたえり 「交差点」『塔』七月号 あなたからあなたの腕は生えていて途切れつつ剥くりんごの皮を 本歌は『塔』七月号に掲載されている第九回塔新人賞候補作「交差点」の…
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一首評〈第151回〉
石井僚一 「海老の天ぷらを置く」『死ぬほど好きだから死なねーよ』 きみが死ねばぼくは悲しいから雪の原野に海老の天ぷらを置く 集題で「死なねーよ」と言っておきなが…
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一首評〈第150回〉
永田和宏 「あの胸が岬のように」『メビウスの地平』 ステージの光錐ライト・コーンに獲とらえられ彼も海へは還れぬひとり 作中主体はバレーを見ている。それは連作の次…
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一首評〈第149回〉
吉田隼人 『忘却のための試論』表題連作 忘却はやさしきほどに酷なれば書架に『マルテの手記』が足らざり “追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばなら…
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一首評〈第148回〉
瀬戸夏子 「pool」『率8号』 きみはきのう惑星と呼ばれそしてひらかれた窓から入る朝鮮に 「きみはきのう惑星と呼ばれ」。3-3-5-3のしらべのすばやさと安定…
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一首評〈第147回〉
北原白秋 『橡つるばみ』 桔梗きちかうはひと花ながら傍わき歩ありく雀の素足すずしくかろし 北原白秋の歌を読むと、鮮やかに景が立ち上がってくる。個人的に、赤や黄な…