一首評〈第142回〉

雪舟えま 「炎正妃」『たんぽるぽる』

もう歌は出尽くし僕ら透きとおり宇宙の風に湯ざめしてゆく

「僕ら」は知っている歌を思いつくだけ歌い切ってしまったのか、それとも持ち合わせた感情をすべて歌に変えてしまったのか。いずれにせよ、「僕」はその結果、自分たちの存在が「透きとお」ったかのような、清らかで空っぽな心地でいる。さらに「湯ざめ」というのだから、入浴のあとだろうか、彼らの体は徐々に冷えつつある。

 歌いやんだ「僕ら」の心身の温度がゆっくりと下がり、落ち着いていくその様子を描き出した一首である。しかし、この歌がマイナスの感情だけの印象にとどまっていないのは、「透きとお」る「僕ら」の美しさに加えて、やはり「宇宙の風」という認識の提示が効いているからであろう。
この歌で「宇宙」という言葉は、もちろん宇宙空間を表しているわけではなく、この世を指し示すための最大単位として使われている。つまり、このとき「僕ら」が感じている「風」というのは、実際は我々がいつも感じているのと同じような、地上で何気なく体に受ける風と変わりのないものである。しかし、その「風」を受ける瞬間、「僕」は自らのいる場所が「宇宙」であるということを実感するのだ。
 この認識は非常に特徴的である。私たちが感じる可能性のある風はどうあがいてもすべて「宇宙の風」である。しかしこう書いてあると、まるで主体が「宇宙」ではない別の場所から来て、他の風を知っているかのような、不思議な浮遊感がもたらされる。さらに、「宇宙」という言葉を理性的な文脈に落とし込まずロマンチックに使うことで、「温度の下がっていくことを示した歌」であるにもかかわらず、短歌としての熱は下げさせない。“「歌」が「出尽くし」たあとの興ざめを詠んだ一首”になってはいないのだ。またこの壮大な表現は、雪舟えまの作品の全体的な特徴としてしばしば述べられる「スケールの大きな愛」ともよく響きあい、歌の懐を深めている。

人間をすきじゃないまま死にそうなペット 宇宙の はるなつあきふゆ/「道路と寝る」

脂っぽいあたま抱けば一瞬の住所を銀河にもつ心地する/「魔物のように幸せに」

傘にうつくしいかたつむりをつけてきみと地球の朝を歩めり/「ア・スネイル・イズ・ア・ファイア」

 歌集『たんぽるぽる』から三首引用した。いずれの歌も、壮大な認識が歌のポイントとなっていることがわかる。

橋爪志保 (2015年5月25日(月))