一首評〈第135回〉

永田淳 「落葉松林」/『1/125秒』

受話器にて君の不在を知る時に雨は微かに強くなりゆく

私たちは普段からさまざまな「音」に囲まれて生活している。車の走る音、話し声、携帯の着信音、街中に流れる音楽など。しかしそれらの音すべてを同時に意識することは難しい。大抵は自分に必要な音、聞きたい音だけしか聞こうとしない。
 掲出歌にある「君」は恋人か、意中の人か、おそらくそういった存在であると思う。その君に電話を掛けているのだが、聞こえてくるのは無機質な電話の呼び出し音ばかりで、君の声は一向に聞こえない。そうして君の不在を知った「時」に、雨が強くなっていく。そしてこれはきっと雨の勢いが増したというわけではなく、今まで日常の音に埋もれてなんとなく聞き過ごしていた雨の「音」に意識が向き、それが自分の中で次第に強くなっていったということだと思う。

 また、受話器を耳に当てる一人の青年の姿から、「雨」により連想される外の景色、といった視点の広がりも非常に美しい。そしてその間に「君の不在を知る」という動作が入っているところも大きなポイントではないだろうか。

 この歌を読み終えてからもしばらく、耳には雨の降る音が残っていた。

村川真菜 (2013年12月15日(日))