一首評〈第79回〉

林和清 連作「菩薩の森」/『玲瓏59号』

ほの暗い菩薩の森へわけいりぬどれもが永遠をささへあふ枝

 山の日暮れは早い。空が明るくとも、林冠の下はどんどん影を濃くして、いつか闇になる。調査のため遅くまで山にいると、ふとこの歌を思い出す。

「菩薩の森」と言うが、この歌から慈愛や温かみは感じられない。「ほの暗い」だけでは、朝とも夕暮れともつかないが、これから闇が深くなる気配がある。影となって頭上を覆う木々からは、もはや樹種の違いもわからない。ただひとかたまりの「枝」として森を成し、永遠を形づくる。そうして、人間には手の届かない時間を見せつける。ささえる、ではなくささえあう、であるところに、枝ひとつひとつの頼りない細さが感じ取れる。

 日暮れた山は恐ろしい。それまでうるさいほどだった虫や鳥の声が遠くなり、けぶるような視界の中で、ほんの数歩がひどく長く感じられる。林和清の歌に現れる闇や、静けさや、物言わぬ植物に触れると、同じ感情を呼び起こされる。それはつまり、このままではもといた世界に戻れなくなるという感触である。そして、おそらくは人のいるべきでない森を、奥へ奥へと歩んでゆく主体の心が、なによりも恐ろしいのである。

東郷真波 (2009年10月15日(木))