一首評の記録
-
一首評〈第111回〉
馬場あき子『桜花伝承』 忘れ得ぬ心みたりし春のこと千の椿の葉の照り返し 心を見たのだという。かつての春、確かに目撃したある忘れられない心が今、あたかも無限に反…
-
一首評〈第110回〉
栗木京子『夏のうしろ』 雨の夜は亡き人おもふほのぼのと発光をする馬のかたちの 雨降りの夜には光が滲んで見える。 ずっと眺めていると、その光の中に見えてくる輪郭…
-
一首評〈第109回〉
高松紗都子「NHK短歌」8月号 青年と父が言うとき恋人は若木のように我が胸に立つ 父にとっては「青年」、作中主体にとっては「恋人」。人は様々な側面を持っているも…
-
一首評〈第108回〉
安永蕗子『讃歌』 落ちてゆく陽のしづかなるくれなゐを女と思ひ男とも思ふ さて、いったい私に一首”評”なんて書けるのでしょうか。 …
-
一首評〈第107回〉
加藤治郎『サニー・サイド・アップ』 書きなぐっても書きなぐっても定型詩 ゆうべ銀河に象あゆむゆめ 頭の中には深くて広いイメージの海があって、そこに静かにきらめき…
-
一首評〈第106回〉
俵万智『サラダ記念日』 江ノ島に遊ぶ一日それぞれの未来があれば写真は撮らず 「江ノ島に遊ぶ一日」では甘ったるいだけの歌が、「それぞれの未来があれば」のひねりで途…
-
一首評〈第105回〉
北川浩久『オドロキ』 カーテンが窓の向こうにあふれいで風のかたちを示していたり 巻雲とよばれる雲を、ある子供がそんなことは無視してしまってスウスウ雲と命名した。…
-
一首評〈第104回〉
東直子『春原さんのリコーダー』 廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て 廃村を告げる活字、どこかの村が一つ無くなってしまうのだろうか。作中主体は…
-
一首評〈第103回〉
吉川宏志「塔」2011年5月号 黒竜江アムールに飛び立ちゆかむ白鳥を思えり放射線をよぎりて アムール川(Амур 、アムール、黒竜江)はユーラシア大陸北東部を流…
-
一首評〈第102回〉
野樹かずみ(『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』洪水企画) お誕生日会の三角帽子かぶった子と物乞いする子 強化ガラスを隔て 二…