瀬口真司『BEAM』(書肆侃侃房、2025年)
幸福でありますようにってみんな祈る。雨のなか秀吉は朝鮮へ
「幸福」というのは、ある種のイデア的な像が、ある程度まで全員に共有されつつ、だれひとりとしてその内奥的な実態は一致することがないだろう。ところで、上の句、〈幸福でありますようにってみんな祈る。〉では、実は「みんな」の立ち位置がぼやかされている。「幸福であ」るよう「祈る」主体は「みんな」で疑いないだろうが、そのように「祈」られる対象は、「みんな」自身なのか、それとも、「みんな」にとっての、大切な人々なのか。実のところ、「みんな」の立ち位置の、ある種のぼやけ方のようなものは、上の句をより普遍的なテーゼに変奏しているように感じさせる。「みんな」自身、「みんな」の大切な人々にとっての「幸福」を、「みんな祈」っている。
しかし、その「幸福」の内実は、依然としてそれぞれの複数性を保ったままである。ぼやかされているのは、もはや「幸福」それ自体である。
豊臣秀吉は、天正18年、小田原征伐で北条氏を滅ぼし、天下を統一し、社会の安定化のため、太閤検地や刀狩令を実施して、日本全国を大規模に変革した。その二年後から、明を征服すべく、大陸への足がかりとして朝鮮へ出兵することになる。
歴史的な事実を鑑みると、秀吉の朝鮮出兵は、日本を統一した彼の肥大化する欲望のようにも思える。実際、失敗に終わった朝鮮出兵のことを義務教育で学んだ私自身、「そんな、調子に乗って晩節を汚すようなことしなくても…」と思った記憶がある。
しかし、この一首において朝鮮出兵を考え直してみると、まるで秀吉は「幸福」を祈っていたかのようである。嶋稟太郎は、2026年2月7日の日々のクオリアで、「上の句と下の句がぜんぜん繋がっていない」、「秀吉が祈るとは思えない」とこの一首を評した。私はむしろ、この上の句と下の句を完全に接続させて読みたい。秀吉にとっての「幸福」、あるいは秀吉の考える「みんな」の「幸福」は、大陸への侵攻によってもたらされると、秀吉は考えていたように思われる。秀吉は彼の思う「幸福」を「祈」っていたのではないだろうか。
朝鮮出兵は、当時の世界において最大規模の戦争だったと言われる。死者は何人出たのだろうか。秀吉の勝手な「幸福」の想像によって、何人の命が失われたのだろうか。私はこのことを考えると、どうしても現代の世界がダブって見えてくるのである。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ占領。これらを肯定するわけではなく、事実としてあえて言うならば、それはプーチンやネタニヤフにとっての「幸福」の祈りの形とも言えるだろう。そしてそれは、すべてのロシア国民やユダヤ人にとって、ほんとうに「幸福」かどうか、あるいは侵攻や占領を受ける人々にとって「幸福」かどうか、答えは言うまでもないだろう。
そう思うと、掲出歌は瀬口にとっての一種のリアリズムを成している歌のように捉えられる。「幸福」の複数性、そしてその中に含まれる、暴力的な結論を導く「幸福」の形。自身の勝手な想像によって「幸福」の形を一元化させる、強大な権力を告発しているようにも見えてくる。
嶋は上述の日々のクオリアのなかで、この歌では「普遍的な「幸福」への祈りの希求が歌われていると読んだ」として論を結んでいるが、私はむしろ、掲出歌は「幸福」の普遍性をもういちど問い直し、つねに–すでに複数的な「幸福」が、暴力や排除の力学を内に秘めているということを告発していると読んだ。
※本稿では敬称を省略しております。
中島丈多郎
