一首評〈第147回〉

北原白秋 『つるばみ

桔梗きちかうはひと花ながらわきありく雀の素足すずしくかろし

北原白秋の歌を読むと、鮮やかに景が立ち上がってくる。個人的に、赤や黄などの派手な色彩を詠みこんだものが多く心に残っている。

 君と見て一期の別れする時もダリヤは紅しダリヤは紅し (『桐の花』)

 黍畑の黍の上なる三日の月月より細かき糠星の数 (『雲母集』)

 月の夜に水をかぶれば頭より金銀こんごん瑠璃の玉もこそちれ (『雀の卵』)

 それに比べると、掲出歌から浮かぶ景は地味だ。おそらくは薄い青紫色の桔梗の花と、そのそばを歩く茶色の雀。色彩もさることながら、映像としての印象も薄い。

 しかし、声に出して読み上げると、聴覚から歌の印象が流れ込んでくる。特に下の句、「すずめのすあしすずしくかろし」で連続する「ス」の音と「4・3・4・3」のリズムから、雀のあの折れそうな細く軽い足のイメージが鮮やかに浮かぶ。さらに、「雀の素足」という、普通は思いつかない言葉選びにも驚かされる。

 やや深読みになるが、この雀は縁側にでも上がってきているように思われる。何も履かない雀が素足であることを意識させられるのは、それが人間の生活空間に入ってきた時ではないだろうか。地面から生えた桔梗が一輪だけ花を咲かせているというのもやや想像しづらい。桔梗の花を一輪生けてある室内(あるいは屋外と屋内の境界)で雀が遊んでいる図が見えてくる。一輪だけ生けられている桔梗というも涼しげかつ寂しい存在である。そこから普段は意識されなかった、「雀の素足」が涼しく軽いということを思い出さされるという再発見の歌だろうか。

 

 掲出歌は「秋夕賦」の中の「木星の下」という連作に収められており、この歌に続く二首にも雀が詠みこまれている。

 貧しくて雀観てゐし冬の日は我と雀のわき 知らざりき

 射干ひあふぎの黒きつぶら光さし痛きゆふべを雀は去にぬ

 掲出歌が観察的な歌であるのに対し、「貧しくて……」は雀と自分の区別がつかなくなるほど雀に没入している。また「射干の……」では、雀は詠み手の感情や行動の対象というよりは歌のための記号として扱われているように思われる。同じものを様々に詠みこむ白秋の技量が感じられる。

参照:『北原白秋歌集』高野公彦編 岩波文庫 1999年

高橋由香里 (2016年11月4日(金))