一首評〈第116回〉

山階基「近いうちに」/『早稲田短歌四十一号』

帰り道あなたがわたしを覗きこむ顔の角度をみつけてしまう

帰り道に「あなた」が「わたし」を覗きこむ時の角度を作中主体は見つけた。

発見したのは「顔の角度」。歌の中では省略されてはいるがおそらく、「あなた」は昨日今日ではない昔からの知り合いだろう。帰り道をともに何度も歩いていると、「あなた」が作中主体を覗きこむ時いつも決まってする顔の向き方を作中主体が見つけた。解釈としてはそんなところだろう。

最初、なんてことのない歌だと思っていたが、よく読むとなんだかおもしろいことになってきた。この歌は、「あなた」が「わたし」を見るときではなく、「あなた」が「わたし」を「覗きこむ」ときのことである。覗きこむという行動は見るという行動より、より強い見ようとする意志を帯びている。なぜ、「あなた」は「わたし」を強い意志を以て見ようとするのか。

「あなた」が積極的にコミットメントする理由。それは「あなた」の先天的な性格からかもしれないが、その一方で「わたし」がうつむいたりして歩いている、といった「わたし」が「あなた」からの干渉を拒むような姿勢を取っているかもしれないことも、理由のひとつとして挙げられる。
作中主体がコミットメントから逃げているにせよ逃げていないにせよ、長いこと一緒に居ると、そのぶんだけ顔を覗きこまれることが増えていった。そして、そのさなかに作中主体は「あなた」の顔の角度(の法則めいたもの)を見つける。

結句の「みつけてしまう」という言い方から、作中主体はこの発見について動揺しているように思える。この発見は言ってしまえば、「あなた」を知ること、もしくは「あなた」に関与することにもつながる。どことなく、コミットメントから避けるようにしていた「わたし」にとってはこの「あなた」につながる発見は予期せぬことであり、動揺に値するものだったのであろう。
また、「あなた」という二人称もこの歌の中では効力を発揮していると思う。松村正直氏の歌の上の句に「あなたとは遠くの場所を指す言葉」(『駅へ』)があるが、「あなた」は「君」よりかは「わたし」との距離のあいまいさを感じさせる二人称だと思う。それは「あなた」という名詞がa音だけでできているせいか韻律的にも茫洋となることも効力を発揮する一因となっている。

この歌が収録されている「近いうちに」という連作にはこの歌以外にも作中主体とそのまわりの人との関係性に注目するような歌がいくつかあった。

全身がひるむ気がした夕暮れの枕も毛布も他人のにおい
大したものはないというのに電話ののちすぐに訪ねてくるのかお前
友人が嘔吐している 友人はわたしの前で嘔吐ができる

連作中の歌はほとんど口語であり、文体はどことなく作中主体の無防備さを感じさせる。しかし、「枕」「毛布」「電話」といった生活の匂いを感じさせるアイテムとも響きあって不思議な読後感があった。

廣野翔一 (2012年5月4日(金))