一首評〈第108回〉

安永蕗子『讃歌』

落ちてゆく陽のしづかなるくれなゐを女と思ひ男とも思ふ

さて、いったい私に一首”評”なんて書けるのでしょうか。 
「短歌」に向き合うようになってまだ日の浅い私。
アンソロジーに目を通し、さまざまな歌人の思いに挑んでいますがまだまだつかみきれません。
そんな懺悔じみた御託を並べ、びくびくしながらも筆を執ります。

落ちてゆく陽、入日、落日。刻々ときょうのおわりへ近づいていく。
喧騒に向かって燦々と照りつけていた昼間とは打って変わって、陽は静かに落ちてゆく。
哀愁漂う黄昏時、このままひとり夕闇に消えてしまうのではないかと、ふと寂しくなってどこか人恋しくなる。

そんなときに見やる夕陽は紅に染まり、どこか落ち着いたあたたかさと優しさを与えてくれる。心の傷をそっと撫でるように、包み込むようにして、慰めてくれる。同時にその安息はほんの一瞬であることも教えてくれる。それは女である。

一方でまた夕陽の紅には力強さも残っている。いきいきとした昼間の輝きは失われたが、その分、がちゃがちゃとした喧しさを削ぎ落として残ったのは芯からじわじわと燃える清らかな太陽の姿である。決して燃え尽きることはない。そこには勇ましさと力強さがある。それは男である。

優しさも、寂しさも、強さも、危うさも全て孕んだ落陽は、心に小さな穴を空けては埋め、そして穏やかな明日の訪れを支えてくれる。

佐藤右京 (2011年9月1日(木))