一首評〈第69回〉

水原紫苑 『びあんか』

われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる

この歌と出会ったのは高校二年生の、冬の終りだった。
学期末の消化試合のような授業を、当時の国語の先生が短歌に触れる機会にして下さった。
抄出された幾人もの歌人の歌が並ぶプリントの中で、この一首を見つけたとき、静かに、しかしぐいぐいと引き寄せられたのを覚えている。

その衝撃の核は、今言葉にするなら次のようなものだろう。
自分と相手との距離感、そして揺るぎない存在の実感。
その根源的な志向性、運命性が、
どこか身体の奥底の遠い記憶を、当然の手がかりとすることによって、喩えられている。

一首に描かれたゆうぐれは、まるで既視感に襲われるときのように、鮮烈で切なかった。


手元になくて参照できないのだが、その当時書いた鑑賞文(?)を、記憶に頼って再現してみたい。恥ずかしさには目をつぶって。

不思議とよく覚えている。
自分にとって、現代短歌への入り口はこの歌だったのだ、とつくづく思う。



「ねえ、知ってる?」
彼女は首をほんのすこし傾けて、聞いた。眩しさをかすかに残した陽光が、その顔を照らしていた。
「人間の祖先は、海から来たんだって。このあたりは、昔は海だった。
今いるここは、だったら、いつか話した…藻の蔭。わたしたちが、魚だったころに」

――そうだね。

途方もない時間の長さを思いながら、日はどんどん暮れてゆく。
僕たちが出会えたことの、小ささと、大きさ。

海底の藻の蔭か。
ゆうぐれの底か。

どちらにしろ、僕らはいま、たしかに、ここにいる。

笠木拓 (2008年1月1日(火))