塚本邦雄 日本人靈歌
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
第三回現代歌人協会賞を受賞した第三歌集の巻頭歌。そして、数万首におよぶ塚本の歌業のなかで、もっとも人口に膾炙した一首であろう。
この歌が愛唱される理由は、「ペンギン」という日本人好みのモチーフにもあろうが、やはり、「日本脱出/したし 皇帝/ペンギンも/皇帝ペンギン/飼育係りも」という、大胆というほかない句またがりへの驚きにあるのだろう。
穂村弘氏は、「何をうたうか――モードの多様化について」という重要な評論のなかで、この句またがりの技法に注目して、以下のように述べている。
「作中の『皇帝ペンギン』も『皇帝ペンギン飼育係り』も、ばらばらに分断されている。」すなわち、「対象を常に生身のものとして捉える近代短歌的なモード」でこの一首に相対したとき、読者は生き物をあたかも切り刻むかのような、「禁忌の感覚」あるいは「冒涜的な喜び」を感じる、というのである。
菱川善夫氏は、一首のモチーフについて、「街なかを巌はこばれてあとあゆむしづかなる初夏の市民ら」という同歌集の歌を援用しながら、この「皇帝ペンギン」は、「猫背のエンペラー、天皇ヒロヒトの喩である」という解釈を示した。以来、その妥当性について、幾度となく議論が繰り返されている。
掲出歌についての議論、つまり技法や主題、そしてそれを支える塚本の思想について考えるとき、僕はひとつだけ確認したいことがある。それは、塚本の本意は、「皇帝ペンギン」および「日本」を、諷刺画のように描きだすことにあるわけではない、ということだ。
「国語精粋記」より、塚本の地名についてのスタンスを紹介しよう。
#「現実に、なまじ見てしまつた自然よりも、夢みる光景、思ひを馳せに馳せる名のみの世界の方が、感動は深いのだ。」
#「詩歌によつて新しい生命を輝かし得た地名は、それが「ケルン」であらうと、はたまた「桃源郷」であらうと、日本人の「歌枕」となることを、決して忘れるべきではない。」
「皇帝ペンギン」という崇高な名前をもつ生物を、塚本はただその名をもつゆえに愛したのである。けっして、「皇帝」に内蔵された暗喩や、一語のもつ音数、といった機能ゆえに着目して、「皇帝ペンギン」を一首のなかに封じこめ、かつ、切り刻んだわけではない。
最後に蛇足ながらもうひとつ。この歌は、塚本の生涯を通して重要なモチーフであった、「主従の愛」のいち変奏とも考えられる、と記しておきたい。
下里友浩 (2006年3月15日(水)