一首評〈第59回〉

澤村斉美 「黙秘の庭」

遠いドアひらけば真夏 沈みゆく思ひのためにする黙秘あり

「沈みゆく思ひ」の反対は、「思い浮かぶ」発話のいくつか。

 われの知る父より父は遁れつつメーデーのけふ声の笑まふも
 ベランダに鴉の赤い口腔が見えたりけふは休みの上司
 日の道は光の休むところなりしづかな声をそのまま行かす

父の声。カラスの声。あるいは、誰のものともわからない声。発話のかげには、無数のおもいが隠れている。いくつもの発話に取り囲まれた「わたし」は、「黙秘」というスタイルをとりながら、そんな外界の発話の奥にあるものにも、感情を寄せているようだ。

おもえば短歌の一首とは、いま、わたしにできる、最大限の声なき発話であるだろう。そして、掲出歌は、その一首のかげにある、とても大きなものの存在を詠いえた歌として、記憶されるべきではないか。

なお、「~ひらけば真夏」の「ば」は、已然形につく確定条件ととりたい。

 海の青はつめたいだらうスカートに伝はる海の声を聞きゐる

掲出歌の直後におかれた、「黙秘の庭」の悼尾をかざる歌。
ひかりの季節にあって、作者はなお、思いを沈ませ、海の声に耳をすませる。

下里友浩 (2006年11月1日(水))