一首評〈第42回〉

塚本邦雄 装飾樂句カデンツァ

五月祭の汗の靑年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる

第二歌集の巻頭歌。亡き畏友・杉原一司に捧げられた第一歌集、「水葬物語」では一度として出てこなかった「われは」という宣言が、ここではじめてなされる。
 その「われ」が、「青年」と対比して捉えられていることが、きわめて興味ぶかい。僕がこの項で評したいのはただ一点。「汗の青年」に、塚本は、杉原一司の面影をみているように思われるのだ。

 杉原一司は、「水葬物語」刊行の前年、五月二十一日に二十三歳の若さで亡くなっている。五月とは、塚本にとっては特別な意味をもつ季節であり、それを裏付けるように、「五月」と「青年」というモチーフは塚本の歌に繰り返し登場する。
(例:
「われに昏き五月始まる血を売りて来し青年に笑みかけられて/『装飾楽句』」
「皐月待つことは水無月待ちかぬる皐月待ちゐし若者の信念/「玲瓏」六十一号所収)」 ……#余談ながらこの歌、塚本の本意は二句めに濁点をつけた、「皐月待つごとは水無月待ちかぬる~」であった、とする島内景二氏の解を採りたい。)

 塚本は「定型幻視論」のなかで、「黒シャツをまとひて合歓の花かげに誰待つとなく一日暮らす/杉原一司」という歌を引きながら、このように述べている。

「杉原、この汗のにじんだ黒シャツの歌と、この黄昏の肖像を見る時、わずかにその時だけ、僕は「孤り」ではない。」

 孤独は生のなかにしかない。「水葬物語」を世に問うたあと、塚本は肺結核を患う。「装飾楽句」はその療養期につくられた歌集のようだ。「火のごとき孤独」とは、なんと難解な修辞だろう。それは病苦であり、躍動する生であり、同時に死の象徴であった。

(#晩年の塚本に、このような歌がある。「火薬紛紛 杉の花季はなどき過ぎつつを杉原一司目覚むるなかれ/『詩魂玲瓏』」乾いたユーモアがかなしい一首である。)

  五月とて胸かきくらすたちばなのみのいたづらにながらへしかば  邦雄   (「露とこたへて」所収)

下里友浩 (2006年3月1日(水))