一首評〈第41回〉

塚本邦雄 「水葬物語」

革命歌作詞家にりかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

主題:
 シュルレアリズムの手法をふまえつつ、日本における「革命」思想への欺瞞を風刺した、とする解も多いようだ。しかし、故郷を歌わない塚本に、あらゆる意味で政治を歌うことなどできたのだろうか。
 スポットライトのもとで腕組みをしている、この「革命歌作詞家」なる奇妙な人物は、まず塚本自身の自画像であり、一首は短歌を主題・喩法・韻律の面から、改革しようという宣言であろう。

(♯一首の世界にただ「歌」と「われ」だけがある、というモチーフは、辞世の歌で変奏される。掲出歌と、音数は同じながら、あきらかに定型にたいして従順になっているのは、なにか意味があるのだろうか。)

   歌一首ひとり創るを試みつわが歌が明日のわれをあはれみ  邦雄

技法:
「革命歌/作詞歌に・凭り/かかられて…」という句またがりの技法は、塚本が現代短歌に定着させたというのが定説である。しかしながら同時代の短歌のなかには、この技法を安易に用いている例も散見される。
 思想の支えなき技法は、歌を豊かなものにはしない。掲出歌の場合、従来の短歌を読み慣れた読者は、「革命歌…」という初句をみて、これが主語だと思うだろう。しかし結句に至って、「ピアノ」こそが広義の意味での主語だとわかる。この幻の主語による主題の二重化、という手法を指摘したい。
 題材の水準もさることながら、文体レベルでの一首の奥行きが、ほかの散文のごとき句またがり短歌と、厳しく一線を画している。

(♯同様の試みは、たとえば同歌集中の、以下の歌にもみられる。)

   聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫  邦雄

下里友浩 (2006年2月1日(水))