一首評〈第50回〉

塚本邦雄 靑き菊の主題

イエスはかかりわれはうちふす死のきはを天靑金あをがねに桃咲きみてり

第九歌集の巻頭歌。この一首からはじまる連作「桃夭楽」は、頭文字が「いくよわれなみにしをれてきぶねがはそでにたまちるものおもふらむ 良経」となる頭鎖歌35首から成る。

藤原良経は、塚本がもっとも愛した王朝歌人である。新古今和歌集や千載和歌集にあまた秀歌を残すも、38歳の3月、寝所で不審死を遂げた。3月の花の「桃」が咲いている、という以上、この歌の「われ」は、良経の姿が重ねられているだろう。

「天青金に桃咲きみてり」という、この桃源郷のイメージはどうだろう。ここで死は、永遠の生にも似た、ひとつの祝福として与えられているようだ。「そでにたまちる」とは、「涙が散る」そして「魂が千々に乱れる(ほど恋焦がれる)」謂いであるが、この第四句に塚本は、夭折の天才歌人の運命をみたのかもしれない。

この歌の魅力あるいは謎は、なぜ「良経」の死の背景に、「イエス」の死が詠まれているか、という点に尽きる。両者をむすぶリンクのひとつには、塚本の主要なモチーフのひとつである、夭死があるだろう。(イエスは、34歳前後で磔刑に処されている。)

読後、読者の脳裏には、歌の殉教者としての、良経の最期があざやかに描き出される。すなわち一首は、華やかな古典としての新古今和歌集を代表する歌人に、塚本が捧げた鎮魂の歌なのである。

下里友浩 (2006年5月22日(月))