塚本邦雄 蒼鬱境
遠き萩それよりとほき空蝉の眸 文學の餘白と知れど
塚本の第八歌集は、収録歌数わずか三〇首、発行部数は私家版を除いて二〇〇部、跋、後書きのたぐいもないという、序数歌集のなかでは特異な位置を占める。掲出歌はその劈頭をかざる。
石田波郷は「俳句は文学でない」と言い、(ニュアンスはまったく異なるが)塚本は「(短歌は)文学の余白」だと言う。塚本が「韻文」といい「詩歌」というときはからなず、晩夏あるいは秋のひのくれのイメージがともなう。
韻文のきのふほろびて麥熟るる光にわれはさらさるるかな 『星餐圖』
すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがねぞわがこころをわたる 『青き菊の主題』
『星餐圖』『蒼鬱境』の時期に、塚本は初の評論集『夕暮の諧調』、初の小説集『紺青のわかれ』を発表、これ以後、散文に関心を移すと同時に、歌の世界には、短歌の滅びの予感が影をおとしだす。その予感はやがて、次のような境地にまで至る。
歌にほろぶる 否否石榴鮮紅の芽吹われならば歌をほろぼす 『豹變』
塚本は、革新と伝統をひとりで担う、というポーズを歌の内外でとるようになり、その代償のように、モチーフに偽悪的なものが多くなる。
歌を殺す。すなわちそれは、歌をよみがえらせんとする反魂の情熱のことであった。
(#なお一首は、芭蕉の句「唐黍や軒端の萩の取りちがへ」をモチーフにしているかもしれない。源氏物語の「空蝉」とその継娘、「軒端の荻」が、とりちがえられて「萩」に変容する。そのような俳諧的機知を念頭において読むこともできよう。)
下里友浩 (2006年5月15日(月))