一首評〈第43回〉

塚本邦雄 日本人靈歌

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

第三回現代歌人協会賞を受賞した第三歌集の巻頭歌。そして、数万首におよぶ塚本の歌業のなかで、もっとも人口に膾炙した一首であろう。

この歌が愛唱される理由は、「ペンギン」という日本人好みのモチーフにもあろうが、やはり、「日本脱出/したし 皇帝/ペンギンも/皇帝ペンギン/飼育係りも」という、大胆というほかない句またがりへの驚きにあるのだろう。

穂村弘氏は、「何をうたうか――モードの多様化について」という重要な評論のなかで、この句またがりの技法に注目して、以下のように述べている。
「作中の『皇帝ペンギン』も『皇帝ペンギン飼育係り』も、ばらばらに分断されている。」すなわち、「対象を常に生身のものとして捉える近代短歌的なモード」でこの一首に相対したとき、読者は生き物をあたかも切り刻むかのような、「禁忌の感覚」あるいは「冒涜的な喜び」を感じる、というのである。

菱川善夫氏は、一首のモチーフについて、「街なかをいははこばれてあとあゆむしづかなる初夏はつなつの市民ら」という同歌集の歌を援用しながら、この「皇帝ペンギン」は、「猫背のエンペラー、天皇ヒロヒトの喩である」という解釈を示した。以来、その妥当性について、幾度となく議論が繰り返されている。

掲出歌についての議論、つまり技法や主題、そしてそれを支える塚本の思想について考えるとき、僕はひとつだけ確認したいことがある。それは、塚本の本意は、「皇帝ペンギン」および「日本」を、諷刺画のように描きだすことにあるわけではない、ということだ。

「国語精粋記」より、塚本の地名についてのスタンスを紹介しよう。
#「現実に、なまじ見てしまつた自然よりも、夢みる光景、思ひを馳せに馳せる名のみの世界の方が、感動は深いのだ。」
#「詩歌によつて新しい生命を輝かし得た地名は、それが「ケルン」であらうと、はたまた「桃源郷」であらうと、日本人の「歌枕」となることを、決して忘れるべきではない。」

「皇帝ペンギン」という崇高な名前をもつ生物を、塚本はただその名をもつゆえに愛したのである。けっして、「皇帝」に内蔵された暗喩や、一語のもつ音数、といった機能ゆえに着目して、「皇帝ペンギン」を一首のなかに封じこめ、かつ、切り刻んだわけではない。

最後に蛇足ながらもうひとつ。この歌は、塚本の生涯を通して重要なモチーフであった、「主従の愛」のいち変奏とも考えられる、と記しておきたい。

下里友浩 (2006年3月15日(水)