一首評〈第17回〉

松村正直 「蟻走感」(『短歌往来』 2003年12月号)の一連より

被弾した機体のごとく飛来してわが腕に蝉はぶつかりにけり

夏の盛りを過ぎると公園や路上に蝉の屍骸を多く見かける。
完全に死にきれないものは突如として飛び上がり、通りがかったひとを驚かせる。
蝉が弱りきった身体で懸命に飛び上がる姿は、さながら被弾して撃墜される航空機である。
提出歌に歌われた場面・背景はこの程度のことであろう。

しかし、この歌のテクストは日常の瑣末な驚きを超えて、時代の問題に突き刺さる。
上句は言うまでもなく2001年9月11日におきた米国の同時多発テロを連想させるし、あのテロルの衝撃が与えた影響がその後のアフガン戦争、イラク戦争のみに留まらないことは言うまでもない。
作中主体の視線はぶつかってきた蝉の軌跡に向かっており、テロルの結果に流されつづけてい世界への挑戦として読むこともできる。

短歌が社会詠や機会詩としての役割を放棄しつつある現状において、
ひとつの指針を与えうる歌である。

小島一記 (2003年12月1日(月))