一首評〈第64回〉

東郷真波「発泡ひこうき」

なにひとつ求めぬ腕をしならせてやさしいひとが放つひこうき

おそらく紙飛行機であろう。結句「ひこうき」において初めてあらわれるK音が、漠とした想いにひと筋の芯を通すようであり、心地よい。歌がおわったあとに、しろく軌跡がひかるさまが、目に浮かぶようである。

 ……と、ここまでタイプしたところで、手がとまった。

 はたしてこの歌に、「あと」などあるのだろうか?

出典の連作から、もうすこし引用してみよう。

  ここからは走ってゆくことあけがたの野原にひとつきりの標識
  黒いビニール・レイン・コートをかきわけてひかりはじめた頬を見ている
  真珠色のベビーシューズを脱がせてもかすかに重く熱い足首

これらの歌は、物語への予感に満ちている。しかし、それにもかかわらず、読者が「その後」へと想像を馳せる行為を、厳しく禁じているようだ。

その理由は、分析的には、結句がいずれも「3・4」音という構成になっていることが挙げられる。(#「4・3」音という結句の歌は、音読すればあきらかなように、余韻を感じさせることが多く、「3・4」音の場合は、一首に安定感、完結感をもたらす。)

だが、そのような判断をくだすまえに、この連作を読む者は、主人公のテンションの高さ、アテンションの熱のようなものが、韻律の効果などよりはるかにつよく、時間を押しとどめているのを感じるだろう。紙飛行機は、解き放たれたその瞬間に、白く虚空に焼きつけられる。それはまた、世界が現実から解き放たれる一瞬でもある。ゼノンの矢のように。

下里友浩 (2007年5月1日(火))