一首評〈第73回〉

土岐友浩 Blueberry Field

ウエハースいちまい挟み東京の雑誌をよむおとうとのこいびと

 土岐さんの詩観がすこしずつ垣間見えたのは、去年参加した京大歌会のことだった。土岐さんの歌に、私は「これは詩というより歌詞に近い」というようなことを言ってしまったのだが、この歌集、「Blueberry Field」を読み進めるうちにそれはちょっと違ったな、と思うようになった。
 土岐さんの歌はやさしい。どちらかというと女性的である。しかしそれはネット上に氾濫しているような女性歌人の甘やかさとはちがう。街に流れるねっとりとしたラブソングとも違う。甘い、安易な抒情をそぎおとしそぎおとし、彼のほんとうに信じられる抒情だけをひかえめに、しかし存在感を持って歌にしているというところだろうか。うすいボタン、ミルティーユ、とうめいな傘…丁寧に差し込まれた詩的なフレーズは夜明けの空気を味わうにも似て鮮度を失うことなく、だれることなく、読者に入り込んでくる。

  ウエハースいちまい挟み東京の雑誌をよむおとうとのこいびと

 一見して読むと、インパクトはまるでないのだが、ウエハースを雑誌に挟むという行為の意外性と、一歩間違えると恣意的にはかなくなるというこのふたつの重力を濾過するのは、意外なほど難しく、その重力をなくすのが彼のもくろみでもあるだろう。「歌詞に近い」と言った私に、「詩はこんなもんでいいんですよ」と京大歌会で彼は言った。個人としては賛同しかねる部分もあるが、そう言ったときの彼の確信犯的な含み笑いが脳裏に焼き付いている。

 彼はこれからもこうして彼にとっての、ほんとうにかけがえのない抒情を探して、歌を作り続けていくのだろうか。どこかで激情をぶち上げてみてほしい気もするし、詩に対して誠実な禁欲主義を貫いてほしい気もする。最後に、私は、何の重力もなくウエハースを雑誌に挟める女の子になりたい、と思ったりもした。

野口あや子 (ゲスト) (2008年7月1日(火))