永田和宏 「あの胸が岬のように」『メビウスの地平』
ステージの光錐に獲えられ彼も海へは還れぬひとり
作中主体はバレーを見ている。それは連作の次の歌がプリマについての歌であることからもわかる。暗い闇の中で、スポットライトに照らされたダンサー。そんな光景がありありと浮かぶ。だが、上の句がそれほどあざやかな情景を生み出すのに対して、下の句は不可解である。そして、この意味を読み取ろうとするとき、我々は上の句に隠されたもう一つの意味を認識せざるを得ない。その時、この歌の真の意味が明らかになるであろう。
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まず、この短歌で作者が「海」と呼ぶものは、一体何を指しているのかを明らかにしなければならない。実は「メビウスの地平」において、連作「あの胸が岬のように」の前に納められている連作が「海へ」なのである。このことが、「海」の意味を探るにあたって大きな手がかりになることはいうまでもない。
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
永田和宏(「海へ」『メビウスの地平』)
「海へ」の連作の中心となるのが、有名なこの歌である。ここで、作中主体は、「きみに逢う」以前、すなわち過去の自分を探しに、「海」に向かう。ここで、彼はなぜ海へ向かったのだろうか。山でも川でもなく海なのである。おそらくそこには、海というものが我々すべての原点であるという思想があるはずだ。現に、生物の祖先は、海から生まれた。そこから、陸上に上がってきたものたちが我々である。海は原点である。海は我々の過去である。作者に少なからずこのような思想があったからこそ、作中主体は海へと向かったのである。このように考えると、提出歌における「海」も過去を暗示していると捉えるのが自然ではないだろうか。さらに、提出歌において、「還る」という言葉が使われていることも、このことを支持している。
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「海」が「過去」を暗示するのであるとすると、この歌のもう一つのキーワード、「光錐」に、はじめにはわからなかった意味が読み取れるようになる。初読の段階では、この言葉はただスポットライトを明示的に表すものにすぎないと思われた。だが、それだけではないのである。
そもそも、作者はなぜここで、「ライト・コーン」なるルビをつけたのだろうか。ただ収まりがいいから、それだけの理由だと片付けてはいけない。作者、永田和宏について触れておくと、彼は1971年に京都大学理学部物理学科を卒業している。つまり、彼は大学で、物理学を学んでいたのである。おそらく相対性理論も学んでいたことであろう。そして、相対論を学んだ者が、「過去」あるいは、「時間」というイメージとともに、「ライト・コーン」と聞いた時、相対論における「light cone」を思い浮かべるはずなのだ。永田が、「光錐」にあえてルビを振った理由は、読者に「light cone」を連想させるためではなかったか。
ここで、「light cone」がどのようなものであるのかを簡単に説明する。2次元の世界を想像してみてほしい。その平面と垂直に、時間軸をとる。二次元世界のある一点から、時刻0の時に、全方向に向かって光を照射する。(その平面世界で、円状に光が照射される。)その光の軌跡は時空の中で、ちょうど円錐形になっているということは、光が一定の速度であることからわかる。この円錐形を「light cone」と呼ぶのである。(厳密にいうと過去の部分、すなわち時刻が負の部分にも同様に円錐形を考えることができる。)もちろん、我々の世界は3次元であるから、実際は円錐形ではない。しかし便宜上それも「light cone」という。
結局「light cone」が何を指しているのかというと、ある時刻、ある場所にいる人が、関わることができる「時刻、場所」の全体なのである。更に言えば、どの人間も、絶対に「light cone」からは抜け出せないのである。なぜなら、そこから抜け出すためには、光の速さを超えたスピードを出す必要があるからだ。
我々は、「light cone」から抜け出せない。そして、「light cone」から抜け出せないということは、我々が光の速さ以上で動けないということの言い換えである。さらに、光の速さ以上の速さで動けないということは、我々が「過去」には戻れないということを意味する。この、最後の論理は、相対論による帰結である。
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ここまでの論理が正しいとすれば、当然この歌は、「彼」だけに関する話ではないということになる。なぜなら、全ての人間が「light cone」に獲えられているからだ。「・・・彼も・・・ひとり」という言葉は、「彼も、人間と同様に」という意味であると解するべきなのである。彼が人間でないとかそういう意味ではもちろんない。彼の置かれた状況が、人間の置かれた状況と重なるという意味である。つまり、作中主体は、「彼」と「スポットライト」が、「人間」と「light cone」との比喩となっていることを感じているのである。「人間は、「light cone」に獲えられている。だから、人間は過去に戻ることはできない。」ということを実感するのである。
もう一度整理すると、作中主体は、「彼」と「人間」、「光錐」と「light cone」、の対比をステージ上のダンサーに見て取るのである。そして、「彼」も「人間」も過去には戻れないということを感じるのだ。
「帰れぬ」という、否定形が使われていることから、「彼」自身、そして「人間」たちも、「帰りたい」のだ、という作者の考えが見て取れる。すなわちここには、人間は過去に戻りたいが戻れないのだという憂いのような気持ちが、詠まれているのである。
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この歌は、ただの情景描写ではない。そのことは、下の句からもはっきりわかっていたことである。しかし、まさかこの歌が、人類全体の「過去」には戻れないという悲哀を歌った歌であるとは、誰が想像したであろう。理学部の大先輩でもある永田の歌にこのような意味を見出せたことに、一抹の喜びを感じながら。
妹尾歩 (2017年8月4日(金))