歌会の記録:2000年4月25日(火)

歌会コメント

歌会 参加者数11名

詠草

01 「そのうちね君も気づくのだろうけどパロディーなんですよ」と顔近し 柴田悠

02 引っ越しの荷物積まれてゆく横を風は時おり強くなりたり 西之原一貴

03 とどまれるかぎりは在らむ大き葉にのびる雨滴の底の銀 しろがね 森雅紀

04 触れられぬ事ども多くすべすべの時間を君と殺めてゐるよ 杉美和

05 角ごとに道しるべはある葉桜を折れてあなたの葬会場へ 澤村斉美

06 丸石がお骨のように日に白し涸れ川を春の陽が渡りゆく 島田幸典

07 ひだまりは母屋のわきの池のはた昭和なかばに売られし家の 田中あろう

08 浴槽にふやけた体じゃ狭すぎて足を組みかえることができない 井上リリー

09 月光はいつも誰かを庇うけどおつべるは嫌な男だったさ 上田茜


[ひとこと評]

01 セリフの不思議さがいかされた歌。リズムの良さもポイントになっており、「」から  「・・・と顔近し」ともってくる辺りは、不意に現実感を見せられて圧巻である。

02 「引っ越し」や時折強くなる風というのは、春の騒立つ空気をうまくとらえている。見ている作者本人が引っ越すのか、別の人が引っ越すのかはわからないが、例えば連作の中に置くといっそうそれがはっきりするだろう。

03 雨滴がのびる、という表現がとりわけ新鮮。形を変えて滑り落ちようとする水滴の質感がよく現れている。「底の銀」が少々とらえにくいか。 4 「すべすべの時間」には、のっぺりとした時間、さしさわりのない時間、などの読みがあり。

04 五句目であらわれる自虐の気持ち、見事。一、二句目には、説明に過ぎる説と必要説のふたつがあり。

05 「葉桜を折れて」は思い切った言い方でうまくいっている。1、2句のおちが結句、というのが見えすぎでもある。ァ音が多く、「葬会場」という重い言葉を明るく使っているのは、ならでは。

06 春の奇妙な感じ、幻想のような世界が表されている。上句から下句への視点の移りがおもしろい。下句からは中原中也の詩が想起される。

07 下句が再び上句の「ひだまり」へかかってゆく、その言葉の回り方がおもしろい。「昭和のなかばに売られし」ではどんなことを言おうとしているのか、説は様様であるが、ノスタルジィを歌うことに成功している。

08 シュール。コミカル。自分のもつ倦怠したからだの実感がよく伝わってくる。「ふやけた」はコミカルの助長になる説と欠かせない説のふたつがあり。

09 「おつべる=ものすごくいやな奴」という、読者も共通にもつ記号の扱い方がうまい。上句に作者の言いたい事があるようだ。「月光」は癒すもの、善のもの、などの読みがあり。  


淡々と、しかし弾んで楽しい歌会でした。春を思わせる歌が多いのが今回の特徴。春の捉えかたもひとによってさまざまです。

例えば、西之原氏の「引っ越し」の歌。ほろ苦さも美しさのうち、なんともさわやかであるなあと感じました。森氏の「雨滴」の歌。これも春の歌のように感ぜられました。みずみずしく、のびやかな春です。澤村氏の「葬会場」の歌はどうでしょうね。春の葬儀へ向かうひとの気持ちは奇妙。ここにきて、春に少しねじれが見えてきました。そして島田氏の「涸れ川」の歌。春はひとを幻想の世界へ連れ去ります。ときには帰って来られないことも。で、田中あろう氏の「ひだまり」の歌。淡々と語られる、実はもうないかもしれないぬくみ。古い記憶の中に春の質感を思い起こすこともあります。

私の春は、今年は、舌のような感触があります。ざらざらしていたり、ぶつぶつができてやっかいだったり、しかし、味覚は確か、なはずだったよねえと思いながら歩いているうちに、4月もあら終りそう。こんな春からはさっさと立直らなくてはなりませんのう。
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